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マカイバリのはじまりマカイバリのはじまり


肥沃なトウモロコシ畑 「マカイ」「バリ」


 「マカイバリ」とはチベット語で「肥沃なトウモロコシ畑」という意味です。「マカイ:トウモロコシ」、「バリ:肥沃な土地」。植民地時代に英国人がトウモロコシを栽培していたので、そう名付けられたのです。

  マカイバリ茶園の歴史は1835年にさかのぼります。当時セポイの反乱で脱走してきた1人の英国人兵士が、後にマカイバリ茶園と名付けられるこの地に命からがら逃がれてきました。彼の名はサムラー大尉。ちょうどその時期は、トウモロコシが実をつけだす頃だった、と言われています。彼はそのままこの地で生活するようになりました。

  1840年代になると、英国人がクルセオンとダージリンに紅茶の苗床を作り始めました。サムラー大尉はその苗木をこっそり持ち帰り、茶の木を植えました。彼が、商売の目的で植えたこの茶の木こそが、マカイバリ茶園での紅茶栽培のはじまりだと言われています。

  同じ時期、後にマカイバリ茶園初代茶園主となるギリシュ・チャンドラ・バナジーは、コルカタから100マイル離れた裕福な地主の息子として暮らしていました。14歳になるまでに英語とフランス語を習得していたギリシュは、世の中の貧困や不公平を改善したいと思い、法廷弁護士になるためにロンドンへ留学しようとしていました。しかし、誰に対しても大胆にはっきりとした物言いをする彼は、家族からも叱責を受けることとなり、彼は身のまわりの物だけを手に、愛馬に乗って家を飛び出しました。 そして2週間後、彼は弱り果て、お腹を空かし、ダージリンに辿り着きました。弱り果てたギリシュは、英国人司令官に助けられ、その後、得意の英語を駆使し、英国軍駐屯地のための非公式通信員として働かせてもらうこととなったのです。

  2年後、ギリシュは16歳で、子馬の急便サービスと、通信関係の仕事を成功させ、クルセオンとダージリンの数々の土地を手にしていきました。そして20才になる頃には、その地域で一番の金持ちになったと言われています。しかし彼は簡素な生活をし、貧困者への援助をしながらも、財産を浪費することはありませんでした。 同じ地域で生活をしていた、英国人のサムラー大尉とギリシュは大変親しい間柄だったと言われています。

  1850年代の後半、サムラー大尉は病の床で、若いギリシュを呼び寄せ、マカイバリ茶園の正式登記を遺贈しました。1859年のことでした。 これがマカイバリ茶園の奇跡の出発点でした。

 



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